めも

エッセイよりは酷い殴り書き

日記

朝が来る

今日も寝れずに朝が来る

素敵になりたい

素敵なものが世の中には溢れていて、そのたびに自分は勝手に馬鹿みたいに感動してしまう。心が動かされて好きになってしまう。音楽、映画、舞台に小説、あさの光や風の匂い、

そういうものだけではなくて、

電車を待つ人の物憂げな表情、知らない女の子たちのどうでも良い会話、昨日あった人の笑った顔、一昨日会った人の気の利いた相槌、

前から知っている友人も、久しぶりに会った人も、二回しか会っていない人も、初めて出会った人も、

なにか全部が素敵すぎて、愛おしくなってしまう。

帰り道、一人で歩いていると例えば月が綺麗で、だけどそんなことは自分にはどうでもよくて、

自分が思う素敵と、他人が思う素敵は勿論、全然違ったりしていて、

けれどそれに触れたくて、なにかわからないけどこの人はこういうふうに思うのか、というのがとても好きで。

一人部屋でパソコンの前に座っていると、

自分は一体何をしているのかと。こんなに素敵な人がいて、話したいものがあって、知りたいことがあって、

それは全部自分の勝手な何かなのだけれど、

帰り道、道の別れたところで「バイバイ」なんて言いたくない気持ちは小学生の頃からちっとも変わってないよ

通学路じゃないところを探検して見ちゃうみたいに、今でもお散歩がしたい、まだまだ遊んでいたしお話したいんだ、いつも

人間は誰よりも自分と過ごすのに、

お気に入りの本も机もあるこの部屋が、一人で対話するこの瞬間が、ひどく退屈でたまらない!

自分も負けないくらい素敵になりたいのに、いつも空回りしてしまうし、

無駄に他人が好きすぎて死にそうだ!

 

日記

ずーっと考えていると、気づいたら頭が空っぽになっている。

頭のなかになーんにもないんじゃないかとそんな風に思ったりもする。

勿論、そんなわけはないんだけども、たしかに、何かむりやり出そうとすれば、うちだされてくる言葉というものはある。でもそれがなんだか、なんにもないことそのものを表す言葉のような気がしてくる。

自分には考えることしか出来ない、考えて、考えて、考えることしか出来ない。それ以外のところはどうも何もかもうまくいかない気がして。

「死ぬほど考えるの、それが後悔しない、たったひとつのやり方よ」

確かにあまり人生で後悔をしたことはないかもしれない。自分は人生で成功しない、あんまり成功したことがない、けれど、やり直したい、とあんまり思ったことがない。

部活を辞めた時も、試験に落ちた時も、彼女に振られた時も、後はなんだろう、あんまり思い出せない。あーあ、と思うことはあっても、じゃああの時に戻れれば、と思わないし、あーしておけばよかったとおもうこともない。多分あれが挫折だったと、思うようなことも何度かあるけれど、ではどうすればよかったかなんてちっともわからない。

考えているから、とても考えたうえでどうしようもなかったからなのか、考えた結果、戻ってもやはり無理だろうと思うのか、わからない。きっと、考えて考えて考えるより、やるべきことがあるんだろう。家から飛び出して、歩いてみるとか、走ってみるとか、そんなことだったりするのだろう、けれど、何をするべきか、自分には考えてもわからない。ただどうしようにもならないという事実が、目の前に横たわるだけだ。

 

誰かにとんでもなく何かを伝えたい事がある。誰かの何かを、とんでもなくききたい時がある。けれど、それが何なのか、いくら考えてもわからない。思いきって話せば話すほど、ほんとうになにもないんじゃないかと思ってくる。関係ないことですら、なにもないんじゃないかなと思うことがある。少なくとも、年齢と同じ年月の分だけ生きてきて、色んな人にあって、いろんなことを考えたのに、いざ今になると、本当に何もない様な気がしてくる。ワクワクすることもドキドキすることもたくさんあって、もっと言えばそれを集めて生きてきたのに、結局、今になると今その時のことしか、自分の中にはない。

何かにドキドキしてつっぱしっている途中、ふいにすっからかんになって全てを台無しにする。ワクワクして本当に言いたかったことがわからなくなっているどころか、なんにもない。でも言いたかった、ってことだけを頼りになんとかしようとして、結局意味のないことを繰り返す。とてもめんどくさい。

 

何も思い浮かばないから、とりあえず日記でも書けばトランス状態にでもなれるかと思ったけれど、なれない。わかっている、こういう時は得てしてそういうものなのだ。わかっている。そしてキーボードを叩いているだけでここにはなにもない、そしてこういうものは定期的にやってくるだけで、ただそういうものでなんともないのもわかっているし、案外みんなも中身なんてなんにもないのもわかっている。すこーし時間が経てば、なにか面白いことがあって、繰り返しだということもわかっているけれど、時間が立つのを待っていると、歩くスピードがゆっくりになりすぎる。自分はそれで今のところ案外楽しく生きれているけれど、どこかわからない行き先に向かうには遅すぎるし、予定の半分だっていけてないのかもしれない。こんなところなんかとうに通りすぎていたほうがいい。わかっている。結局なんにもないから寝ようとするのだけれど、こういう時は横になってもなーんにもないままにぼんやりと時間がたつだけなのだ、わかっている。

 

日記

冬が好きだ。夏が暑くなりすぎたせいか、気づいたら花粉症になってしまったせいか、いつの日からか冬がとても好きになっていた。

なぜ好きなのだろうと考えてみても、うまく説明できない。空気が冷たくて気持ちいいとか、息をはいてみたら白くなっていることとか、なんとも言えない絶妙な寂しさとか。クリスマスが近づいてきたころに、街の中を一人で歩いている時の寂しさなんて絶妙だ。何処か賑やかで浮かれている街でも、絶対に一人で歩く瞬間がある。マフラーをしても寒いので、体を小さくして歩く。耳を澄まさなくても、クリスマスソングなんかが流れていて、それがディズニーだったりするとなおのこと寂しい。
流れてくるメロディーを聴きながら、何かを考える。ワクワクしながらサンタクロースを待った子どもの頃のことだったり、記憶の端の方で流れているホームアローンのことだったり。未だにサンタクロースは見たことないけれど、いると思っている。もしかしたら目には見えないかもしれないけれど。
あるいは、子どもの頃ではなくて恋人やら、元恋人やら、そういうことを考えたりするかもしれない。家族のことを考えるかもしれない。わざと小沢健二のLIFEなんかを流してみたりするのかもしれない。
寒くて、寂しくて、街が明るくて、だけれども一人で歩いている人は、例えばこれから帰って待っている誰かのことを考えている。もう会えなくなってしまった誰かのことを考えている。これをプレゼントしたら喜ぶだろうなと、また誰でもない誰かのことを考えている。
冬は好きでも、雪はあまり好きではない。小学生の時、部屋でゆっくり大河ドラマの録画を観ていたら、雪が積もっていて、田中くんが誘ってきた。自分はなんとなく外へ出て、雪だるまなど作っていたら、案の定手や足が痒くてたまらなくなり、帰ろうが風呂に入ろうが新撰組最終回の余韻を楽しむどころではなくなった。そのせいで苦手なのかもしれない。
あるいは、中学生の時、今度こそ手を痒くしてなるものかと息巻いてひっそりと歩いていた私に、帰り道興奮した城田くんがひたすら雪を投げてきたせいか。服の間に入るほどで、滅多に怒らないのに早歩きして先に引き上げてしまった。凶器を投げてくる城田くんが楽しそうなのも癪に障ったのだろう。
大学受験の時など、例によって悩まされ、靴下は濡れるわ、または電車は止まり開始はおくれ、ひっそりとひっそりと歩き精神をすり減らしたせいで良い結果がなかったのだと確信している。もうこのような思いはするまいと前日にビジネスホテルに泊まった時も、覚えているのは英単語や歴史の年号どころか、部屋のラジオで聴いたクロマニヨンズのメロディーばかりで同じ結果だったのだけれど。
まぁ、そのような思いは置いておくとしても、ささやかな寂しさや、浮かれている中一人で歩いたり、そういう人を見ているのが好きな自分にとっては、雪は冷た過ぎるというだけでなく、どうも華やか過ぎる気がする。わー雪だ、と騒いでみるほどまっすぐに生きてもいないし、そのようなものも眩しすぎると思ってしまう。スポットが雪そのものにあたってしまうような気がして、なんでもない冬の景色とは別のものとなってしまう。それよりは華やいでいる中で誰かがそこにいない誰かを考えているのがとても好きなんだと思う。
もう冬が終わってしまう。大好きな季節が終わってしまう。ここから半年以上も何を楽しみに生きればいいのかなんて思ってしまう。この冬からなにかを持っていきたいのにと思う。寒い中芸劇の前で集まって、何時間もウイスキーだけで暖をとったことやら、寒い寒いといいながら上着も着ないで、自動販売機のホットドリンクだけ買って帰ったこととか、風がびゅうびゅうと吹いているのに、一駅歩こうと足をすすめ、ずーっと駅の間を往復したこととか、など。多分今年も雪は降ったのだろうし、確か降ったはずだが、好まないせいかあまり覚えていない。例えば、雪が降ってきて誰でもないかもしれない誰かとそれを見ながら、次の冬もこんなふうにまた雪の降るのをみたいなと思う瞬間があれば、次の冬までそれを楽しみに生きて行けるのになと思う。